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長野善光寺研修 解答篇

2017年03月29日(水)

先日掲載した、講義での問題の解答です

先に答えを言いますが、問1から6まで、すべて『☓』です

解説は以下の通り

1.人が亡くなれば、仏様に生まれ変わる、仏様のもとへ生まれに行く。

生きている間は「生まれ」る前なので、「生前」の言葉こそ最適。

補足:「往生」とは、仏に生まれに行くという意味。

2.葬儀の帰りに塩をまいて清める、などと言いますが

亡くなった方を不浄のもの、悪霊として忌み嫌うのですか?

失礼極まりないことです。

3.お墓の一番上の縦長の石は『佛石 ほとけいし』というもので、その名のとおり仏様として拝むものです。

石の頭頂部は仏のおでこの部分、「白毫 びゃくごう」といい、仏の力が集約されるところです。

宗派によって違いますが、その部分に本尊を表す梵字や、真理を表す円を刻みます。

家紋はいわば俗のもの、仏の力を塞いでしまいます。

4.いわゆる「手元供養」というのでしょうか、故人が傍にいてくれるらしいのですが

お気持ちは分からなくもないですが、やはりお骨はあるべきところへ納めさせていただくのが残された人の務めだと思います。

故人は仏となられるのです、お骨の一部を置いておくなど、俗世に引き留めることはおやめになるべき。

一時の流行で装飾品を作ったはいいものの、時間の経過とともに後悔し、相談される方が後を絶たないそうです。

5.「分骨」とは、お骨の一部を本山にお納めすることをいいます。

親族間、兄弟間で分け合うものではありません。

埋葬は一カ所ですべき。我々が戸籍を2つ持てないのと同じことです。

6.「散骨」などという行為が罷り通っているようですが、これはもう論外ですね。

当人はそれで満足なのかも知れませんが、部外者からすれば、ただの人骨の投棄です。

骨と一緒に、人間としての尊厳までもお捨てになるおつもりでしょうか????

お骨は「自然に帰す」のではなく、「浄土にお帰りいただく」ものです。

長野善光寺研修 講義篇

2017年03月23日(木)

善光寺の研修では参拝とは別に講義の課程もありました

会場のようす

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開式のあと、『テスト』を実施しました

全256問、すべて〇☓方式です

約2時間かけて解答していき、その後答え合わせをしながら解説していただきました

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問題集のなかから、いくつか出題します

〇なのか☓なのか、お考えください

 

1・葬儀の喪主の会葬御礼、「生前はお世話になりました」という表現はおかしいので

「存命中はお世話になりました」と言いました。

2・葬儀の帰り、体が不浄のものになっているので自分に塩をかけて清めました。

3・新しくお墓を建てるとき、棹石(お墓の一番上の縦長の石)の頭頂部に家紋を彫刻しました。

4・遺骨をお墓に納めてしまうのは寂しいので、お骨を加工してペンダントを作ってもらい、

いつでも傍にいてもらっています。

5・自分の娘が嫁ぎ先で亡くなってしまいました。遺骨を嫁ぎ先のお墓と、郷である自分の家のお墓と、

それぞれに分骨して納めました。

6・某宗教学者が「自分が死んだら、遺骨を賑やかな街の片隅にそっと置いてもらいたい」と言っています。

お墓に納めるのではなく、自分の好きな場所、思い出の場所で眠りたいです。

 

正答は後日掲載いたします